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インド旅行の雑記と雑感

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ども。現地滞在中にも何度か更新した今回のインド旅行ですが、興奮冷めやらぬうちに雑記や雑感を。何を書けば良いのか自分でも迷いますし一口で語れないことばかりなのですが、旅の様子や出来事など細かいことは前回のエントリー中でも述べたとおりコンテンツを作る予定なのでそちらで。

インドで訪れた街

最初に訪れたのは飛行機の到着地でもあったコルカタ。その後聖地ヴァラナシを経由して首都のデリーに抜けました。デリーではツアーを組んで1日だけタージ・マハルのあるアーグラーへ出掛けたのですが、結局ツアーを組んだのはこのアーグラーだけ。その後タール砂漠の玄関街ジョードプルを訪れ、訳あって一瞬だけスーラトへ立ち寄りアーマダーバードまで戻る。そしてラスト・ストップのムンバイへ。当初予定していたジャイサルメールを時間面と体調面から判断して取りやめ、代わりにアーマダーバードを選んだかたちです。

日本とインドの移動日も含めてわずか24日間でしたから、各街での滞在が3〜4日と表面をすくうぐらいにしか居なかったのが残念でしたが、まあインドは広いっちゅーことです。ピンポイントで訪れる街を決めておけば良いのですが、初めての国だと欲張りがちになりますね。再度行く機会に恵まれたのならばヴァラナシやプリーに長期がいい。

インド人

一言で表現するならば「エネルギッシュ」という言葉ほど最適なものは無い気がします。無粋と取ってしまう人もいるのかも知れませんが、インド人の劇場的なまでの感情表現は僕にとってツボでした。(たぶん)どうしようもくだらないことで大の大人が口論をはじめて取っ組み合いの喧嘩になるかと思いきや、それを止める別のインド人に羽交い締めにされて遠くに引きずられていく光景を何度か見ました。怒り心頭中のインド人は手や足をブンブンふりまわしてる。また、電車でしばしの離別を悲しむ家族がお互い眉毛を「八」の字に曲げて寂しさを表しているのを見ましたが、その眉毛の角度はそのまま顔から滑り落ちてしまうのではないかというほど急。彫りの深い濃すぎる顔立ちも手伝って、それはそれは凄い迫力です。

また勤勉さにも驚きました。カンカンに照りつける暑い中、汗をタラッタラたらしながらみんな良く働く。生産性は低く貧乏ではあるが、毎日の食を求めて一生懸命。

客引き等のずる賢さや理屈っぽさにウンザリしたことも確かですが、情に厚いインド人に何度も助けられましたし、基本的に僕は好きですねえ、インド人。

インドの気候

僕の訪れた5月は雨期に入る直前の「暑期」と呼ばれている次期で、とにかく暑い。天気予報(写真にとってくればよかったと後悔している)を見ると当たり前に40度台の数字が並び辟易します。旅中僕の訪れた中ではジョードプルの47度が最高でしたが、この辺りの気温になると思考回路がスパークします。汗はまさしく滝のように噴出しますしあんまり出歩く感じじゃなくなってくる。インド人でもたまらんと言う暑さにダウン、屋台で全然フレッシュに思えないフレッシュ・ジュースを飲んだりして暑さをしのごうと思いましたが、そのジュースが原因とは断定できないものの食あたりに見舞われてけっこう辛かったです。いやぁ一生忘れない、あの暑さ。

旅中雨に見舞われたのは、記憶している範囲ではヴァラナシのスコールと、コルカタ・アーマダーバードの俄雨ぐらい。ほぼ一日中うらめしいほどの快晴で、恵まれたのかそうでないのか分からないくらいです。

毎日汗かいて、ときに下痢して、食欲は少なめ。日本を出る前には54〜55kgあった体重が、今朝起きたてに体重計に乗ったところ、50.8kg。インドで痩せるダイエット。

インドの交通

街によって通行するものはもちろん変わってくるのですが、バス・トラック・タクシー・乗用車・オートリキシャー・サクルリキシャー・人・牛・馬・象・羊・ヤギ・ラクダなどが入り乱れる様は圧巻です。ベトナムのバイク天国もなかなかのものですが、通行するもののバリエーションとしてはインドの勝ちでしょうねえ...。

それにしても車の運転はひどいものです。みんなクラクションを鳴らせば前にすすめると思ってる。あれだけ沢山のものがひしめき合うとさほどスピードが出せないせいか大きな事故はそれほど無いようですが、大抵の車にいろんな物への接触によって付いたであろう凹みが数多く見受けられます。

インドの通信事情

現地で更新したのはコルカタヴァラナシデリーの計3回で、いずれも旅の前半での更新です。Googleマイマップも使って現地リポートできたら面白いかなと思っていましたが、なかなか難しいものですねえ。インドの通信事情は日本と比べるとかなり悪い。インターネット・カフェでは一応DSLを使っているようですが、ハブで分岐して各クライアントでの実効速度はダイアルアップ並ときたもんだ。まあ予想はしていましたが写真の大量アップやFlash・Googleマップなどのリッチコンテンツを閲覧・作成するにはかなり厳しいです。デジタルカメラの高解像度化も相まってファイルサイズが重いためFlickrに写真3枚アップするのに普通に1時間以上かかる。気合いの入った更新を行うには中級クラスのホテルに宿泊して室内に付いているLANを使用する必要があるのでしょう。それと自分のマシンと。

で、そうなると更新するのが面倒になっちゃう。旅中はなんとも暇なものなのですが、ブログの更新に2時間かけるなら昼寝しちゃおうかなという発想になってくる。てへへ。頻繁な更新を期待していた方にはゴメンです。インドのネットカフェはちょっとした調べ物だったりメールしたり、Skypeしに行く場所のようです。カフェと言っても飲み物はいっさい出ないことですし。

日本に帰国して

いやらしい話、インドのような発展途上国どころか先進国と言われる国を旅していても、ふとした瞬間に日本人的な視点で他国を評価してしまうことがある。評価、というより気づいてしまうだけなのだが。だって良くも悪くも日本人なのだもの。日本に帰国して思うのは、僕らの国の物やサービスは、ありとあらゆるものが洗練されていて清潔で時に過剰と思えるほど行き届いているということ。普段は当たり前のように接している物ばかりだが、それらの一つ一つが奇跡的にすら思えてくる。

たとえば飴玉1個の包装。印刷は色ズレも色ムラも無くシャープで、他のジャンルの高価な商品のものと比べても全くひけを取らないクオリティ。パッケージングも印刷に対し水平垂直を正確に保ちながら裁断され折られ、切り損ましてや封漏れをすることなく密封状態を保ち製品の品質を守る。もちろん開けやすいのは言うまでもない。そして驚愕すべきことに包装一つ一つの個体差が極めて少ないのだ。飴玉1個の個別包装が必要かそうでないかに言及するとややこしくなってしまうのだが、とにかく飴玉1個の包装をここまで高水準に行える国はそうそう無いだろう。何から何までとは言わないが同じようなことが他の物にもサービスにも言えることで、誇りに思えることである。

自分でも意外だったのだが、そういった「ここをこうしたら恐らく日本の一般的観点から言って『良い』とされるものに近づくよ」という事象が、それもかなり細かなレベルで、意識せずとも山のように目や耳に入ってきたこと。これはごく一般的と思える自分の中にも日本的な価値判断基準が根付いている証であるが、同時に怖くも感じた。

なにせ僕はこれからその日本のWEB業界でサービスを始めようとしている。日本人を普通に満足させるサービスが展開できれば、それだけで世界にも通用する高水準のクオリティを達成するということに成り得る。そして先に述べた日本的価値判断基準をもって誠実に対応しさえすれば実現できるだろうなとペーペーながら感じるのである。その基準値が一様にしかも病的に高いのが怖いと感じた理由であるのだが。

なんだか大げさな話になってしまったけど、とりあえず始めるしかありません。つーわけで松本人志監督の「大日本人」が観たくなった。