Crazy for Gadgets

毎日をちょっぴり楽しくしてくれる装置。

シリーズ妄想 (2) - iPad それは魔法か偽物(まやかし)か。

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2010年1月27日、スティーブ・ジョブズとアップルにとって「これまでやったことの中で最も重要」とされた新製品 “iPad” が発表されました。

初代iPhoneがリリースされて以来ことあるごとにその存在の有無が取り沙汰されきたアップルのタブレットデバイス。満を持して登場したこのデバイスに良いも悪いも世間の目は釘付けになっていますが、とりあえず現状での所感をつらつらと書いてみたいと思います。現実歪曲空間にのみ込まれ激しく歪んだ解釈となっている部分もあるかもしれないので「シリーズ妄想」の第2回としてお伝えします。まさかこのシリーズが続くとは。

iPad、モバイルにおける第3のセグメント。

アップルがモバイル用途にリリースしているプロダクトはノートブック(MacBook / MacBook Pro)と携帯端末(iPhone / iPod touch)という2つのセグメントに分けられます。

Windows PCの世界では数年前からこの2つのセグメントの間を埋めるものとして「ネットブック」という小型で持ち運びやすく低価格なPCが人気を集めるようになり、今ではSONYや富士通、NECなど国内の主要PCブランドもこぞって新機種を投入する非常に競争率の高い(しかし儲けの少ない)市場となっています。当然アップルにもネットブック開発の期待が集まった時期がありましたが、ジョブズならびに幹部の口からは

と早い段階から参入の意志がないことを明確にしその上で「別のアイデアがある」という立場をとってきました。従ってiPhoneとiPod touchというタッチパネルに特化したデバイス・OS・ソフトウェアの開発で他社よりも一歩も二歩も先のアドバンテージを握りはじめていたアップルに対し、「タブレットMac」開発への注目が集まったのは自然な成り行きだったと言えるでしょう。

以降アップルから何らかの発表があるごとにタブレットMacリリースの噂は加熱し、さも見てきたかのような目撃情報が氾濫しては結局発表されず一喜一憂、一部では「そんなものははじめから存在しない」とまるでチュパカブラやビッグフットかのような幻のプロダクトとして語られてきました。ようやく、本当にようやくその存在が現実のものとして明るみに出たわけですが存在否定派の意見もあながち間違いとは言えない結果でした。なぜならこれまでメディアがアップルに対し執拗に重ねてきた質問「タブレットMacはいつ出るのか」の答えは "No" で正しかったから。アップルが出した答えはタブレットMacではなく、iPhone OSを搭載した名称そのものがジャンルのコンピュータ、"iPad" でした。

アップルが開発するに先んじて多くのメーカーがタブレットPCを投入し、中にはタブレットMacの名称がiSlate(アイスレート)ではないかという憶測が高まるとスレートPCという果たしてタブレットPCとの違いは何なのか不思議な新カテゴリを打ち出してきたメーカーもあったりします。しかし蓋を開けてみればアップルが創りあげたタブレットは、電気店ならパソコンコーナーよりもむしろ電子辞書やNetWalkerなど「専用ツール」の販売スペースに置かれるべきセグメントのプロダクトでした。だからもう孫社長(@masason)は今こそ声高に宣言すべきなんです、「これが本当のインターネットマシン」と。

iPadのターゲットと普及の鍵

iPadが搭載するiPhone OSはアップルファンのみなさんなら良くご存知の通り、UIやアーキテクチャ等の設計思想はMac OS Xでありながら機能をよりシンプルに削ぎ落としあらゆる意味で携帯端末向けに最適化がなされてる。Mac OS Xと比較するとマルチタスクではない、システムのファイルには一切アクセス出来ない、アップルが承認したアプリ以外はインストール出来ないなど細かく挙げ始めたらキリがありませんが様々な面で「自由が制限されたOS」と言えます。そのためヘビーユーザーからは機能やサービスのお仕着せとして不満の声が上がり結果「脱獄」組を生む原因になりましたが、その代わりそれ以外のほとんどのユーザーには端末を使う上での体験を、どんなユーザーに対しても一定以上のクオリティで届けることが可能となりました。

少し粗っぽい説明かもしれませんが、iPhone OSは無数にアトラクション(=アプリ)の用意された遊園地のようなものです。ジェットコースターではみな同じ構造のゴンドラに乗って制作者があらかじめ設計したレールの上を走り、みなが同じ体験をしますよね。そのアトラクションが面白いかそうでないかはユーザーが感じることであって、体験自体は同等に保たれている。また施設内の関係者以外お断り区域(=システム)には何があっても入ることが出来ないことにしたので、その区域がたとえ非常に危険な区域だったとしてもユーザーはそもそも入らないとされるので安全でいられます。

これがMac OS XやWindowsなどもっと高レベルで複雑なOSになるとユーザーの出来ること・行動範囲は格段に広くなります。先程の例で言うならば、たとえばジェットコースターのレールをユーザーが自由に設計することが可能となり、充分な知識と経験を持ち合わせたユーザーだけがさらにスリリングで楽しい独自のコースを滑走出来るようになります。ヘビーユーザーにとっては体験の向上につながりますが、そうでないユーザーはそれが危険かどうかも分からずレールの形を変えてしまうので事故に遭遇する。

従ってiPadがiPhone OSを採用した理由はつまり、パソコンが必ずしも得意とは言えないより多くの「フツーの人々」に使ってもらいたいからです。携帯ならまだしもパソコンとなると途端にその使い道を想像できなくなってしまう人、インストール?何それおいしいのという人、少しでもトラブルが起きようものならパソコンごと捨ててしまいたくなる人、パソコンが便利そうなのは分かるけど操作方法に自信がなく結局は携帯に頼ってしまう人。そんな人々にぴったりのデバイスと言えるのではと思います。

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そしてそれはiPadのページタイトルやdescription指定を見ても明らか。

「アップル - iPad - ウェブ、メール、写真を体験する最高の方法。」
「革新的な9.7インチのタッチスクリーンと斬新な新しいアプリケーションを搭載したiPadは、タブレット型パソコン、ネットブック、電子リーダーではできなかったことを可能にします。価格は$499から。」

ウェブ、メール、写真を体験する。これはパソコンを初めたてのユーザーがパソコンを使ってまず最初にやりたいことであり、多くのユーザーにとっても今後もやりたいであろうアクションです。iPadはそれを体験する方法として自社製品のパソコンであるMacを差し置いて「最高」としているほか、「タブレット型パソコンではできなかったことを可能に」つまり "タブレット型パソコンではなくそれ以上" だということをはっきりと示している。つまりパソコンでやりたいことがそれくらいなのならもうiPadが最良なんだぜという高らかな宣言です。

ただしフツーの人々にiPadを使ってもらうこと、それは最終的な目的地であってiPadの手始めのターゲットはやはり既存のiPhone・iPod touchユーザーになるでしょう。いまでこそiPhoneはスマートフォンの代名詞としてフツーの人々の間でも多く認知されるようになりましたが、発表当初はアップルファンかギーク(オタク)向けの携帯電話としか見られていなかった時期がありました。しかしiPod同様にプロダクト・サービス・ソフトウェアの三位一体となった際のクオリティが突出して優れていたためユーザーによる盛んな口コミやブログ・SNS等での紹介を通して広く認知され、ユーザー数を伸ばしていく結果となりました。

なので今回も発売と同時に手にするような熱心なユーザー達の心をどれだけ掴めるかが非常に重要。アップルのプロダクトに無償の愛が注げる僕のような連中はこぞって買いに走ると思いますが、iPhoneの時と違うのはまずネガティブな面から言えば必ずしもアップル製品を欲しいわけではないギークたちの心を掴めているのかが微妙なところ。Twitterやブロゴスフィア界隈ではiPadのFlashやマルチタスク非搭載を残念がる声は大きくさっそく "iBad" やら "iSad" やら皮肉った名称も飛び出して、「あぁ彼らはタブレットMacが欲しかったんだな」という印象を受けます。ギークたちは自分の気に入った製品に関してはその良さを他に対して熱心にしかも無償で宣伝してくれる素晴らしい広告塔となるはずですので、彼らの感じた残念感が購買意欲をどのくらい引き下げてしまったかは気になるところです。

逆にポジティブな面は、iPhone・iPod touchの出荷台数が世界で7,500万台を超えており、1人が複数台購入していたとしても数千万人のユーザーがいること。そして、ジョブズの言葉を借りれば「彼らは(iPhone OSを採用する)iPadの使い方を既に知っている」。iPhoneの時もその使用感・体験を既にiPod touchのユーザーが知っていた所から始まったことを考えるとこれはなかなか興味深い。iPhone・iPod touchに対し「もっと大きな画面なら良いのに」「キーボードが使えたら良いのに」「本が読めたら良いのに」そう思っているユーザーは相当数いるはずで、その希望を満たししかもiPhone・iPod touchと同等の操作方法ですぐに使える端末が登場したら?仮にiPhone・iPod touchのユーザーの5%がiPadを発売と同時に購入したいと思ったならそれだけでいきなり数百万台のiPadの出荷が見込めることになります。バイラルの最初の苗床となる人数、しかも比較的熱心なユーザーの数としては悪くない数字ではないでしょうか。参考までにPolls.twを利用したアンケートによればiPadの購入予定者は投票した3,717人のうち49.2%となっています(執筆時)。

iPadのデザイン

アップルサイトのギャラリーで確認するかぎり、正面から見ると大きくなったiPhone(iPod touch)のようで、実際搭載するボタンやスピーカー等のインターフェースのデザインはかなり似た部分があります。しかし背面のアルミの質感・アップルロゴやエッジの処理などを見るとLED Cinema Displayそのものです。

ステージ上でジョブズが手にとった際、初見では随分と "ずんぐりむっくり" したデザインだなぁと思ったのは、多分画面のアスペクト比とディスプレイ周囲を囲う黒いベゼルが太めだったせい。

iPadの画面アスペクト比は4:3かつ解像度が1024×768ピクセルでひと昔前までは割と一般的だったラップトップのディスプレイのそれと同じです。特に珍しいサイズではないのですがiPhoneを彷彿とさせる正面のデザインを見ると、iPhoneの3:2という比率がすり込まれているせいかややふっくらとした印象を持ってしまいます。しかし個人的にはこのサイズで良かったのではないかと。と言うのもiPhoneでランドスケープモードを使う人なら一度は思ったことがあると思うのですが、日本語入力するときに画面のほとんどをキーボードと変換候補が塞いでしまいブラウザ部分と入力欄が異様に狭く感じたことってありませんか。Safariでウェブサイトを見る際も同様にスクロールに関わらずタブバーなどの常に表示されるインターフェースがあると思いのほか縦幅が小さく感じてしまうものです。この点iPadならたとえキーボードが画面下半分を覆ってしまっても残された部分の縦幅がまだ充分にありiPhoneより余裕のある使用感を得られそう。

一方ベゼルは同じ太さをキープしたまま画面の周りを囲んでいるため、全体的あるいは左右だけでも狭くすればスマートなのにと思うかもしれません。実際iPhoneのベゼルは左右部分はかなり狭くなっており筐体の横幅ぎりぎりまでディスプレイを埋め込むことに成功しています。しかしiPadにはそうであってはならない理由があります。それは「本体サイズの違い」。iPhoneの場合は片方の手のひらにきっちり収まるため、指が液晶画面に被さらないよう浮かせたとしても側面や裏面でがっちりとホールドすることが可能です。

ところがiPadの場合はそうはいかない。片手に持って使う際iPhoneと同様に片手でiPadの両端をホールドできる人なんていないでしょう。きっと利き手ではない方の手のひらにiPadを乗せ、ベゼルに親指を引っ掛けるようにして持つのではないでしょうか(絵の具のパレットのように)。これでもうお分かりだと思いますが、ベゼルの幅が充分に無いと親指がどうしても画面に被ってしまうのです。しかもiPadの液晶はタッチパネルであることを考えると、もし被さった親指が無意識に動いてしまえば「ミスタッチ」となってしまいます。iPadがiPhone同様加速度センサを搭載していることを考えると親指が乗るかもしれない場所はまさに四方八方。つまるところ周囲に充分な幅を持ったベゼルが必要ということになります。一見してあれ?っと思ってもなぜそういうデザインになっているかを考えるとちゃんと理由があり、相変わらず隙のないデザインだなと関心してしまいました。

厚みとしてはiPhoneよりも1mm厚く13.4mmですが9.7インチという画面サイズと比較して考えると相対的にかなり薄いですね。しかもこれはiPod touchやLED Cinema Displayを見た方がより分かりやすいと思いますがエッジに向かって薄くなるデザインのため手には数字以上の薄さが伝わってきそうです。

僕の私感ですが、アップル製品は「写真写りが悪い」。大抵の製品はサイトやパッケージに掲載された写真と見比べると実物の質感が残念ということが良くあるのですが、アップル製品に関しては実際手に取ってみるとことさら良く感じたり、あまり良いと思っていなかったものが触った瞬間に覆されてしまうということが多いです。アップルファンの戯言...と斬り捨ててしまうのは簡単ですが、まあまあ実際に手にとってみるまでは抑えて下さい。ディスプレイの光沢の艶めかしさ / 指先から伝わる素材の質感と温度 / 手のひらに収まった際にエッジが伝える感触 / 腕に伝わる重さ / OS・ソフトウェアのUIとハードウェアの有機的な連携といった、写真では伝えられない要素(セクシー)がiPadにもきっとあるはず。見るだけのつもりで寄ったアップルストアから30分後には鼻息荒くして囓られたリンゴマークのプリントされた袋を抱えて出てくる人を時たま見ますが、彼らはアップルのプロダクト全てが放つこのセクシーにやられた人たちだ。人々の中にはそれを現実歪曲空間と呼ぶ人もいる。

iPadとはなんなのか、iPadが拡げるもの。

iPhone OSが入っていることですし良く分からない人に説明するためには「大きくなったiPhone(iPod touch)」と言うのがもっともらしいですが、コンセプトとしてはまるで違う代物ではないかと。このエントリーの冒頭で「名称そのものがジャンルのコンピュータ」という言い方をしましたが、まさにそうなのです。iPhoneは何よりも先にPhone(電話)である必要がありiPod touchはiPod、MacBookはMacのノートブックである必要がありました。色々出来ることはあるけれど、まずはその根幹となる機能を告げてあげれば説明ができる。ところがiPadにはそれがない。メディアの報道の仕方を見ると「アップル、電子書籍業界に参入」で確かに電子書籍(iBooks)は目玉機能ではあるけれど実際のところKeynoteではそればかりに時間を割いて説明がされた訳ではなく、アップルとしては電子書籍リーダーとして売り込みたい訳ではなさそう。

ではiPadとはなんなのか、と言われても正直いまのところは説明が難しいですね。単機能デバイスではない、パソコンでもない新しいコンピュータなんです。今のところアップルからは先に挙げた電子書籍リーダーとしての使い方からウェブブラウジング・メール・写真&ビデオビューアー・地図・カレンダーといった使い方が提案されていますがいずれもこれはアップルからの提案でしかありません。お気づきの通りiPhoneとできることも被っています。よって説明できることが少ないため「なんだただiPhoneが大きくなっただけではないか」「中途半端。なぜタブレットMacじゃないんだ」とネガティブな意見が出てきてしまうのも分からなくもないのですが、本当にそうでしょうか。

iPhoneの時に見せられた魔法をみんなもう忘れている。iPhoneは初代はもちろん現行の3GSでさえスペック的にはさほど優れた端末ではありません。発表当初は一部のアナリストからこんな安物の部品の寄せ集めが売れるわけ無いと揶揄されたほどですが、彼らはハードウェアしか見ていなかった。ソフトウェア(iTunes)とサービス(iTunes Store)を組み合わせた時のiPhone本来の力は他社が容易には追随できないクオリティとなり、結果ユーザー数は爆発的に増加、見誤ったアナリストたちは今頃苦虫を噛み潰したような顔をしているか帽子でも食べているに違いありません。

またアップルはiPhoneと同様iPadにも、デベロッパーが独自のアプリを制作しiTunes Storeから配信することでユーザーのiPadにアプリを追加できる(限られた)自由を与えています。デベロッパーではないユーザーがアプリを作るのは確かに難しいでしょうが、これまでにユーザーの声に応えデベロッパーが制作したアプリが大ヒットとなりユーザーのiPhone体験を一新した例はいくつもありました。「iPadはiPhoneがただ大きくなっただけ」と言いますが大きくなるのははたしてそんなに小さなことなのでしょうか。これまでに出来なかったことが出来るようになるのでは?いろいろ制約はあるにせよユーザーやデベロッパーの想像力はもっと豊かなはずで、僕はそこからiPadだけのために生み出される新たな価値に期待しています。ひいてはそれがiPadをiPadたらしめるものになる。つまりiPadが何であるかはユーザーとなる僕ら自身の手でこれから決めていく余地が存分にあるということです。

さらに先程iPadには根幹となる機能が無いと言いましたが、強いて言うならそれは「指」かもしれません。iPadはそのままでは何も無いタッチパネルにユーザーの「指」が加わることによりデバイスとしての完成を迎える。指でどのようにタッチするか・どう滑らすか・どの方向に動かすのか・それを何本の指を使って行うのか。指には驚くほどの多様性があるのですから、iPadは何にでも化けられるポテンシャルがあるということにならないですかね。「あれが・これが出来ない」と言って思考を停止してしまうとその先の想像力が働かなくなってしまうかなと。

とりあえず僕がなにかアプリを作るとしたら小さなお子さん向けの動く絵本や「お絵かき先生」的なもののデザインは本当にやりたいなぁと思っていますが、やっぱり自分が見たことのあるものを再現する方向に頭が働いてしまう。"何が出来るかどういった遊び方が出来るか決まっていない道具の使い方" を考えるのは、小さな子どもたちの方がよっぽど上手なんですよね。彼らがあのアルミでできた薄い板に、黒いベゼルに囲まれた四角形の中に、何を見い出すのか聞いてみたい。

iBooks

アメリカではアマゾンのKindleが電子書籍リーダーとして爆発的な速度で普及しはじめており、2009年のクリスマス当日の集計では電子書籍の売り上げが紙の書籍を上回ったほか、紙の書籍10冊に対し電子書籍版は6冊(つまり6/16冊、全体の37.5%)の売れ行きに達しているという。Kindleは今や本の世界のiPodとまで言われ、早い話成長が著しい分野だということです。

これまでほぼアマゾンの一人勝ちとも言える状況でしたが、ここにiTunes Storeでダウンロード音楽市場を制したアップルがいつ参入してくるのかは予てより注目を集めていた話題でした。本の閲覧方法としてタッチパネルはインターフェースを作る上で相性が良さそうなのは想像に難くないと思いますが、それだけにタブレットの投入で間違いなくアップルが電子書籍分野にも参入してくるだろうと予想されてた。

結果、それを裏切らずアップルはiPadのために開発した電子書籍リーダーアプリ "iBooks" で参入を果たしてきました。Macのビギナー向けラップトップの名前として長年親しまれてきたあのiBookが複数形になってアプリとして華麗に復活。またiPad発売と同時にiBooksアプリ内で "iBookstore" もオープンすることが発表されました。発表されたばかりで依然具体的な取り決めは明らかでないですが、出版社はもちろん個人もiBookstoreのインフラを通して電子書籍をユーザーが必要とするタイミングでいつでも販売可能となります。App Storeにおけるアプリ1個あたりの利益分配が開発者本人へ70%であること、アマゾンが印税率70%のオプションを用意したことからiBookstoreで販売される電子書籍にも同等の印税率が濃厚ではないかと。

電子書籍なんて少し前まではデバイスを開発してもニーズもインフラも整っておらず鳴かず飛ばずで眉唾ものの市場でしたが、ようやく時代が追いついたということでしょうか。個人的には雑誌やムックは場所を取るばかりで読み返したりする機会はあまりありませんし、以前読んだ情報が果たしてどの雑誌のどの号にありどのページに載っていたかなどは覚えているはずもなくいざというとき役に立たないため、場所を取らず検索が容易になる電子化の流れはバンバンザイ。

iBooks用のコンテンツはEPUBと呼ばれる電子書籍のための標準フォーマット (XHTML + CSS) で制作され、おそらくiBookstoreで販売されるコンテンツにはアップルのDRMがかけられるため購入したコンテンツの再生は一定の数のiPadに限られることになるはずです。またこれも予測ですがiTunes Storeの音楽ファイルの例を見るとiPad以外のデバイスではEPUBに対応していても再生は出来ないと考えるのが自然。一方、単に再生するのが目的でiBookstoreでの販売も考えないというなら個人でもEPUB形式にして制作すればiBooksで再生できるコンテンツが用意出来そうです。

僕も個人的にiPadと同じくらいiBookstoreを楽しみにしてはいますが、どうやら発売と同時の展開はアメリカのみに限られるようで諸外国含め日本での展開は当分行われそうにありません(その証拠にアップルジャパンのサイトにはiBooksの記載がまるで無い)。また音楽業界とiTunes Music Storeとのせめぎ合いが再現されるのを見なければならないのかと思うと陰鬱な気分になってしまいますが、音楽業界の時と今とではだいぶ状況が異なります。iBookstoreへの参加に伴い出版業界に及ぼされるだろう影響は音楽業界におけるiTunes Music Storeでのそれが大いに参考になると思いますし、ここはまた黒船来襲だと意固地にならず出版業界には柔軟な対応を見せて欲しいなと思っています。金勘定のことは良く分かりませんが売上減になったとしても現状のように価値や歴史ある雑誌がバッタバッタと休刊に追い込まれていくのを黙って見ているよりはましと思ってしまうのは素人の浅知恵でしょうか。

一つ言っておくとユーザーとして全ての本が電子化してしまえば良いとは思っておらず、誌面のデザインが気に入った本・内容に感銘を受けた本・装丁に魅力がある本など、手元に物理的に置いておきたい本は必ずあるでしょうしそうした本が無くなることは有り得ません。また小説など文字がコンテンツの大半を占め長時間閲覧するものは液晶の画面では疲れるのでやはり紙の本で読みたいと思います。一方で雑誌などは一度読めば満足なことが多く後で必要になったりするのは「経堂のこの店の蕎麦屋がうまい」とか「成城の土産ならこれを選べ」みたいな断片的な情報だったりするので、これには検索が容易な電子書籍というフォーマットが非常に相性が良い。音楽と同様、どちらかでと言わず紙も電子も両方という販売モデルもウェルカムです。すこし前にTwitterで意見を伺ってなるほどなぁと関心してしまったのですが、紙の雑誌の定期購読でバックナンバーを含む電子書籍版の無償閲覧権限を付与というモデルなら僕はたとえ興味ない特集の号がある可能性があっても定期購読するでしょうね。

たぶん色々と権利問題や大人の事情で日本語版iBookstoreの展開には少し待たされることになると思いますが、出版業界にはもうアマゾンと組むのかアップルと組むのかはたまた双方となのかという前向きな検討を始めている段階であって欲しいと願っています。電子書籍鎖国とかいう空しい状況にはくれぐれもならないで欲しいなぁ。

ちなみにApp Storeに電子書籍カテゴリがありますが、これらは基本的にそれぞれが独自の電子書籍リーダーを備えたもので、UIも異なればフォーマットも異なるものです。日本でiBookstoreの展開が始まるまではiPadアプリとしてリリースされる雑誌もあるだろうなとは思いますが、やはり使い勝手は統一された方がいいと思う。

マルチタスクでないこと

iPadはiPhoneと同様、例外を除いて一度に起動できるアプリが1つに制限されているシングルタスクです。2つ以上のアプリを起動し平行して動かすことのできるマルチタスクはあれば確かに便利だった機能。Safariでネットをブラウズしつつお気に入りのTwitterクライアントを立ち上げる、YouTubeアプリでドキュメンタリ映像を見ながらノートブックアプリにメモを残すなど、iPhoneやパソコンのヘビーユーザーだったらいくらでも使い道を見つけられるでしょう。

しかしながら採用を見送ったのには思いつく限りで二つは理由がある。一つはiPhoneと同様の操作性でなければならなかったこと。普及の鍵となる7,500万台のiPhone・iPod touchのユーザーの中には「パソコンの操作は苦手あるいは持っていない、でもiPhoneやiPod touchはなんとか使えている」というユーザーが相当数にのぼるはず。iPad発売後、彼らがその購入を検討する上で障壁となる要素は極力減らした方がよい。覚えれば便利だろうがなんだろうが購入を検討の段階で「あれiPhoneとなんか違う難しい」と思わせてしまえば購入機会を潰してしまうかもしれないからです。そのためには機能は絞りに絞りシンプルであれ、そういった判断があったのではないかと考えています。

第二には指先と視覚に考え得る限り「最上」の体験をさせること。発売されていないので直接自分の目での判断はしようがありませんが、ぼちぼち上がりはじめたiPadの使用感レビューを覗くとその全てでと言っていいほど「速い」「スルスル」「ぬるぬる」とiPadが滑らかに動作すると報告されています。指先に少しの引っかかりも感じさせないスムーズな動作、これはタッチパネル端末にとってその快適さの明暗を分ける極めて重大な要素です。iPadが搭載したA4チップは動作クロックが1GHzもあるモバイル端末にとってはあり余るパワーを持ったプロセッサといえ、画像編集など中には高い動作処理能力を求めるアプリもあります。もしもマルチタスクを搭載したとしてそうした重量級のアプリを複数動作させた際、ボタンが反応しない・画面が指先に追従しない・ガタツクなどということがあったら?途端に気持ち良くない、格好悪い代物になりさがり、ジョブズにとってそんなものは耐え難いものだったのでしょう。

ヘビーユーザーには残念かも知れませんが、将来的にはiPadに必ずマルチタスクが搭載される日がやって来ます。それがいつになるかは分かりませんが、まずシンプルな形でリリースしユーザーに経験が行き渡るのをじっくりと待つのはアップルのいつものやり方です。iPhoneにだって3GSリリース時にマルチタスク化・液晶の高解像度化を計るチャンスはあった、でも周囲の勢いに飲まれるようにして簡単には搭載して来なかった点なども含め、ブレの無さ、悪く言えば頑固さに感心してしまいます。

ちなみにマルチタスクにしてもらいたい理由がリアルタイム動画を観ながらあるいは配信しながらその動画に対するTwitterのメッセージを読んだり書き込みたいという程度のことであればiPhoneアプリはもちろんSafari上でもブラウズ可能なTwitterCastingというサービスがローンチしたりしていますよ。

Flashの非搭載について

iPadがiPhone同様にFlashをサポートしないことが判明するやいなやFlash Playerの開発元Adobeが「大事な物が欠けている」との遺憾を表明した。これに対し、自社の従業員を前にしたタウンミーティングにてジョブズがすぐさま語ったとされる反論はこうだ。

彼らは怠慢だ。面白いことをやる潜在力があれだけあるのに、やろうとしない。何をするにしても、アップルが採用しているアプローチをとらない。Carbonがそうだ。アップルがFlashをサポートしないのは、バグが多いからだ。MacがクラッシュするのはたいていFlashが原因だ。Flashは誰も使わなくなる。世界はHTML5へ移行している。

これを聞く限りiPadはもちろんiPhoneにもFlash Playerがネイティブサポートされる日が来るとは今のところ想像し難い。SafariのレンダリングエンジンWebKitがモバイル端末のデファクト・スタンダードになった今HTML5推進の立場をとるジョブズが一気に移行を押し進めたい気持ちは分からなくもないですが、しかし正直なところ「Flashを誰も使わなくなる」というのは眉唾もの。機能的に競合する部分があるのは確かですが完全に一致することはあり得ないしよってニーズも異なり個人的にはちょっと極論だなぁと。

しかしながらジョブズには初代iMacの投入でシリアルポートやパラレルポート等のレガシー規格を一気に葬り去りUSBを急速に普及させた過去があり、「やりかねない」と思わせてしまうのが凄いところ。ハードウェアのこととは言えそれが頭をよぎってしまったのか、Adobeは「遺憾表明」によってiPadの登場を本気で怖れていることをはっきりと世の中に示してしまったわけです。だってそうですよね?iPadってまだ発売されていないんですよ、数字で言えばシェア0%の状態で前述したようにギークたちの反応は若干微妙で絶対に売れる保証はない。にも関わらず今この段階でFlash非搭載に遺憾を表明するということは、一目見たその日からAdobeはiPadが大好きだ。ジョブズが紡ぐ言葉、そしてアップル製品からモーレツに醸し出される耐え難き魅力(=現実歪曲空間)が今度も多くのユーザーの心を捉えヒットすることを確信しているということになります。

もちろん遺憾を表明したくらいでハイそうですかとジョブズの考えが改まるとは思っていないでしょうから、これはiPad購入を検討しているユーザー、その中でもまだ購入に消極的なユーザーに対するネガティブキャンペーンということになると思いますが、なんだか少し狭量な印象を抱いてしまいました。Adobeご自慢のFlash Player 10.1が動く端末としてタブレットPCもスレートPCJoojooも新着ホヤホヤの情報としてGoogle Padだってある。iPad包囲網としてはそれなりに強力だと思いますし、本気でiPad搭載を狙いたいならもっと有無を言わさない強力なプラットフォームに押し上げてしまえばいいのに、なんて。

頑固なジョブズの考えをもし改めさせることが出来るとすれば、あるいは意に反してそうせざるを得ない状況にするには、Adobeの遺憾表明などではなくてユーザーの声が必要だと思います。ユーザーの声は充分にあるよ!って思われている方もいるかもしれませんが結局iPhoneにしたってまだ充分でないから相変わらず非搭載なのだと思うんですよね、iPhoneユーザーでFlash要らない・あってもなくても構わない・Flashって何?そうしたユーザーはかなりの数いるということじゃないでしょうか。たぶんサイレント・マジョリティがそのいずれかに属している。

個人的にはFlashは僕にウェブへの興味を抱かせてくれた要素の一つで当然嫌いではないですしその表現力の豊かさに感銘を受けたサイトは山ほどあります。使いどころを誤らなければ非常に効果的で有用なのも知っているので、もしiPadやiPhoneで見られるならそれに越したことはありません。しかしジョブズの言うようにいつもバギーかは別として、Mac上におけるFlash Playerには確かに問題があり、軽いとされる最新版のPlayer 10.1 Betaを使ってもWindows上での動作と比べて格段に重いです。Flashを制作する側に問題がある場合もありますがたかだか1サイトの閲覧でデュアルコアCPUを90〜100%も占有されてCPU温度が90度近くまで急上昇したり、ファンの回転音がやけに大きいなと思って確認してみると開いているサイトに貼られていたFlashブログパーツが原因だった、なんて状況が依然としてあり何とかして欲しいなぁと。

その他Flash搭載にをめぐる政治的な解釈は色々あって、以下は読み応えあるなぁと感じました。

あとメディアは当然伝えないしこれを言ったらもう元も子もないので言わずにいたのですがやっぱり言ってしまうと、Flash Playerのバグとか政治的な話とかはもっともらしい後付けの理由であって、ジョブズが「Flash嫌い」というのが最大の理由だと思う。w(←もう "w" 付けちゃいたいレベル。)

ジョブズ節は健在だった

大病を患って以来しばらく大人しめだったスティーブ・ジョブズ御大ですが、これまでで最も重要という世紀の大発明 "iPad" の発表を無事に終え、肉体的には依然痩せておりまだ万全には見えませんが精神的にはギンギンに充実している様子がう伺えます。さきほどのタウンミーティングではAdobeさんを血祭りに上げたほか、Google先生をも軽くシバいております。

われわれは検索ビジネスに参入しなかった、あちらが電話ビジネスに進出してきたのだ。Googleは間違いなくiPhoneを潰したがっているが、われわれは「そうはさせない」。(別の誰かが違う話題で質問したがジョブズは止まらない)その前にOne more thing。あの「邪悪になるな(Don't be evil)」というマントラ、「あれはまったくの戯言だ(bullshit)」。(会場どよめく)

この発言にしろ先程のAdobeに対する発言にしろもの凄い強気です、指先から魔閃光が放たれているのが見える。日本とアメリカでは文化が違うとは言え、彼を相手にする人の目から見ればこれほど攻撃的で傲慢で頑固でワンマンで聞く耳を持たない自己主張の激しい人も珍しいのではないでしょうか。頭を抱えたくなる気持ちも分からないでもない。

しかしながら、彼がボスであり彼に傾倒するアップルの従業員にとってはこれほど心強いことってないのではないでしょうか。今後どのようなテクノロジーが主流となり業界を牽引していくかなんて誰にもその答えは分からない。そうした先行きが不透明なものを目のあたりにして、アップルの従業員でも本当にiPadやiPhoneにFlashやマルチタスクは不要なのかと疑問や迷いが生じる瞬間はあると思うんですよね。〈もちろんそれがもしジョブズに知られようものなら数時間後には自分が座る席は跡形も無く消え命さえ危ういと彼らは良く認識しているので表には出さない。(半分冗談)〉そうした時に、トップの人間にこれほど迷いのない強固な姿勢・信念を見せつけられると、彼を信じることが出来ているうちはあぁ自分たちは決して間違っていないのだという大きな自信や推進力になる。

主流を作ろうという人間・業界を牽引しようという人間には本当はこれくらい極端な信念の強さがあっていいなと本気で思うのですが、容易には真似できそうにないところが難しい。これは事実これまでに多くの実績を残してきたジョブズだからこそ出来る、ジョブズというパーソナリティだからこそ可能な難度ウルトラCの大技であって、並のボスがやっても大抵はただの傲慢ちきと判断され従業員たちにそっぽを向かれて大怪我するのが落ちかと。

ジョブズはその好き嫌いが両極端に分かれる人物ですが、彼がアップルとアップルファンそしてその影響が及ぶ世界でこのままカリスマとして君臨し続けられるかどうかは、すべてアップル製品のユーザーと時代が決めること。「Flashは誰も使わなくなる」だなんてにわかには信じがたいですがもし本当にそうなりようものならまた伝説が1つ増え、ペプシコーラからマーケティング幹部の地位にあったジョン・スカリーを引き抜いた時の言葉『残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?』と同様に人々に記憶される言葉になる。そして反対に完全に見誤っているのであればやがて誰もiPhoneやiPadを使うことはなくなりひいては王国の崩壊を招くだけということ。極めて厳しくギリギリの世界で生きている人なんですねぇ。いやはや凄い人です、惚れる。

というわけで、そんなジョブズとアップルの次なる一手 "iPad" のリリースはもうあと数ヶ月後に迫っています。魔法か偽物(まやかし)か、黙っていてもあと数年後には自然と結果が出ているでしょう。音楽の聴き方を変えイヤフォンを「白いもの」にしたように、iPadが変えるものがあるとしたらそれが何か楽しみで仕方がありません。もし仕事やプライベートワークで僕がその未来づくりに加担できるチャンスが来たら本望です。わくわく。