いねむり読書のススメ

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自分の中に毒を持て

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自分の中に毒を持て

自分の中に毒を持て−あなたは"常識人間"を捨てられるか」岡本太郎著。

少し前に人に薦められて数回読んでみたのですが、んー、面白い。

物事、まず何かと「出来ない理由」を考えて始める前からあきらめてしまう。そんな自分に畳み掛けるように突きつけられる、鋭い指摘。それによって一瞬苦痛にも似た恥ずかしさがこみ上げてくるが、それは人間に対する温かみを持っているからこその、厳しくも、彼らしいエールの数々だ。

さいのう 【才能】
物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。
「--に恵まれている」「珍しい--の持ち主」「--を生かす」
三省堂「大辞林 第二版」より

というのが国語辞典における【才能】という言葉の定義なんですが、この本はその言葉の使いどころを今一度考えるきっかけとなりました。岡本太郎曰く、才能の有り無しが物事の実現に与える影響はわずかなもので、結局のところその実現のための努力や行動をやったか・やらなかったで全てが決まる、むしろ才能なんか人としてマイナスを背負うことだと思えと。

「あの人にはそういう才能があるから出来るんだ」なんて物言いは、後に(自分は才能の無い普通の人間だから出来なくて仕方がない)と続くことになるが、そう考えるのは単なるごまかしで、才能の有り無しを自分がやらないことの口実にしているだけ、ということになる。

なるへそ、それは自身の行動力の無さを露呈する恥ずべき発言であると同時に、才能の有り無しに関わりなく実際に行動を行った「あの人」の努力を否定することにもなる。そう考えると、よく使う言葉ではありますが、安易に発言するのが怖くなる。

裏を返せば、あまり簡単なセンテンスで片付けたくはないのですが、やってやれないことはほとんど無いということ。何らかの決断を行うあるいは行った後のマリッジ・ブルー的憂鬱に、それを蹴っ飛ばす大きな活力を与えてくれる。

そう考えると、上記の定義で言う「素質」としての【才能】は理解できるのですが、「能力」という意味での【才能】は果たして正しいものか解せなくなってきた、というのが思うところ。

ピンポイントで取り上げてしまいましたが、その他にも「マイナスに転べ」「結婚は人生の墓場だ」など、興味深い話題を切り口に独自の人生論が繰りひろげられ、人間らしく生きるためのヒントとなってくれます。読後は、岡本太郎の言葉を借りるなら、「もりもりっと元気が出る」。