いねむり読書のススメ

活字の海に飛び込もう。

ロング・グッドバイ

text:
ロング・グッドバイ長いお別れ

書店にて装丁に惹かれ手にとってみると、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」。しかもそれが村上春樹さんの手による翻訳であることに気づき、興奮を覚えた。

レイモンド・チャンドラーという作家の名前に覚えはなかったのですが、主人公であるフィリップ・マーロウの名前を見て、遠い片隅にあった記憶が疼きました。読書にそれほど時間を費やしたとは言い難い、おそらくは高校生の時分、何をきっかけにしたかは分かりませんが、読んだ本の一冊にフィリップ・マーロウが居たはずです。当時読んだものがはたして清水俊二訳の「長いお別れ」であったかは定かでありませんが、とにかくマーロウは僕の記憶にとどまり続け、少なくとも10年ぶりに僕の前に姿を現したわけです。村上春樹さんという最高の語り部の一人によって。

巻末の40ページ以上にもわたる「あとがき」で村上氏も言及しているところですが、文章の一つ一つ使う単語に至るまで、ひじょうに思い入れの強さが伝わってきます。その思い入れの分、原文よりもあえて自意識過剰に表現した部分もあるとのですが、文章と台詞が素晴らしいです。

ハードボイルドという作風ゆえ主人公はじめ登場人物の感情表現は多くはありませんが、それでもその丁寧な描写によりかえって生々しく伝わってくるものがあります。ごくごくありふれた物事や会話さえ、一体どうしてと思えるほど魅力的な台詞とともに描かれているのですが、それは原作者であるチャンドラーの卓越した表現力の現れであり、それに傾倒した村上氏の翻訳の才覚が成せる業ですね。村上氏もお気に入りだという金髪女のくだりは、それ自体本来は無くても良いものですが、最高です。

僕の記憶の中にとどまっていたマーロウは、「ロング・グッドバイ」とはどうやら別のストーリーに居るようですが、叶うことなら村上春樹さんによる翻訳で再会したいものです。

ちなみに書店で僕の目を奪った魅力的な装丁は、チップ・キッドによるデザイン。